ワインから見るスロバキアの歴史
雨 ですねぇ
こんにちは私です代表です村山です。
雨、ものすごい勢いで苦手なんですよ私。
そりゃ好きな人は少ないでしょうが、私の場合それに輪をかけて苦手なんです、もう土星くらい輪をかけて。
まず髪。「天然パーマ+量が多い」というコンボなので、雨が降るだけで増えるワカメよろしくな感じになります。それが夏だったらもう大変。鳥の巣どころか、「ちょっとした珊瑚礁かな?」ってなります。
あと、街中でちょっとした人ごみを歩くだけで、すれ違う人々の傘がコツコツ当たって「もう闘牛場でやってよ」ってなるし、あと濡れるの嫌だし。
雨ってだけで、もうテンション5割減。傘を持つ手も重くなります。ダンベルかよこれって。
そういうわけで、本日は歴史のお話を少々。
つまり、人によってはすご~~く退屈な話になります。私が読者なら、開始2・3行で田舎の風景とかに思いを馳せ始めると思います。
しかし、そんな話をするのにも理由があったりします。
時代に翻弄され続け、激動を歩んできたスロバキアワインのお話。
▲古城が数多く残るスロバキアの中でも有名な「シュピシュ城」。あの『天空の城ラピュタ』のモチーフになったとも言われます
スロバキアって国名自体、聞き慣れない方も実は少なくないのかもしれません。
実際、「チェコスロバキア?」って返されたことが何度もあります。 それくらい、日本では情報が少ない国ってことですな。
スロバキア共和国は、南はワイン産出国として名の知れたハンガリー、西にオーストリア。その更に西はいわずと知れた有名産出国であるドイツ、イタリア。
地理で考えても、スロバキアにワイン文化があっても驚くことではありませんよね私は驚きましたけどもすいません。
『西ヨーロッパの有名ワイン産出国と同じく、スロバキアにおけるワインの歴史も実は大変古いものです。』
ってな感じの導入文で紹介される事がほとんどですね。ってか、他に情報が入って来ないんでしょう。
でも、「スロバキアにおけるワインの歴史」というより、正確には「現在のスロバキアがある地域におけるワインの歴史」ですね。
ヨーロッパって、日本と違って国々が地続きで隣り合ってるじゃないですか、当たり前なんですけど。昔からローマ帝国やらハンガリー帝国やらオーストリア帝国やら、時代時代によって国境とか「国」の区分が再編されまくってますからね。
現在の「スロバキア共和国」が成立したのも、ほんの20年程前のこと。国という概念で考えると、つい最近と言えます。
▲首都ブラチスラヴァの中心街。美人が多い。歴史的な建物を始めカフェやレストランが多く並ぶ。あと、美人が多い。
で、詳しくは弊社HPを参照頂きたいので簡単に済ませますが
紀元前6~7世紀、日本では縄文時代、既にスロバキアの辺りでワイン造ってたことが分かっています。
縄文時代って、えっちらおっちら稲作しているようなイメージしかないんですが、あちらではブドウ栽培をして挙げ句はワイン。なんかもう洒落てますね。代官山かよって。代官山良く知らないけど。
主な「スロバキアワイン産地」については、弊社HPをご覧頂けると幸いです。という惜しみない顧客誘導の努力を汲み取って大人しく誘導されてください
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▲コシツェにある山の頂より。スロバキアはこのような山や森、自然が非常に多い。あと美人が多い。
さて、どの地域においても言えることですが、ワイン造りの歴史は、その国の歴史ひいては文化に密接に関連します。
その点で、特にスロバキアは非常に複雑でシビアな歴史を辿っています。
あまり詳しく触れますと、中学・高校時代暗黒だった世界史の授業を思い出して私の気分が沈みますので避けますが、
その歴史は戦争・侵略・独立運動・民衆蜂起などの連続でした。
▲スピッシュスカー・ソボタという歴史の古い街。当時の面影を今も残す静かな街で、当然美人が多い。
第一次世界大戦が終結し、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後、チェコスロバキアとして独立。第二次世界大戦後、チェコ=スロバキア共和国に共産党政権が成立します。
スロバキア国民にとり、この政権が“くせ者”でした。
一方、ワイン造りに関しては、他民族の侵略、19世紀後半の世界的なブドウ樹病害などにより盛衰を繰り返しながらも、西側の醸造技術を取り入れつつ、優れたワインを生産していました。
▲1849年設立の「スロバキアワイン生産者協会」のシンボルとワインを貯蔵していた壷。共に銅製。美人は入ってない。
しかし、上述の共産主義時代に入ると、大きなワイナリーは国に統制され大量生産に舵を切ります。“質より量”のワインが多く造られた、ということです。
一方で多くの家族経営による小さなワイナリーの畑からは、ブドウ樹が次々と引き抜かれ、地域の伝統は奪われていきました。
1989年の共産党政権の解体後、チェコとの連邦を解消し、1993年に「スロバキア共和国」が誕生。
失われたワイン造りの、先祖が紡いできた伝統を復活させようというワイナリーたちが動き始め、同時に“量より質”へとワイン造りも転換していき、今日に至ります。
西側の有名ワイン生産国に比べ、「スロバキアワイン」の名前が日本に聞こえてこなかった要因は、少ない生産量もさることながら、以上のような歴史にもあるのかもしれません。
▲東スロバキア・トカイ地域のブドウ畑。向こうに見える山はハンガリー。見渡したところ美人はいないが美人はきっと多い。
と、長々とし過ぎてほとんどの方が田舎の風景に想いを馳せていることと存じますが
こういう背景があることを知った上で、スロバキアのワインを飲んで欲しいなって、勝手ながら思ったんです。一人でも多く。
実際にスロバキアに赴き、様々な家族経営のワイナリーで直接生産者たちのお話を聞くと、多くのそれら中小ワイナリーは上述の暗い歴史を等しく辿っていました。
本当に、どこに行ってもです。
▲バンスカ・ビストリツァの中心街。戦時中、民衆蜂起の中心地となった都市。
当時の国家により、代々受け継がれてきた畑からブドウ樹が全て引き抜かれた歴史があった。
その上で、自分の先祖やその地域の伝統を掘り起こし、再び光りを当てている。
これって言葉で言う程楽じゃありません。大変な作業です。
それこそ血の滲むような。
それは生きる糧として祖先の歴史を使ったのかもしれない、ビジネスチャンスだと思ったのかもしれない。
でも同じ境遇に居たとして、こういった行動を果たして自分は取れるのかなと。 自分のばあちゃんのこととか思い出しながら、つらつらと考えさせられました。
そんなわけで、このような歴史をくぐってきたんだ、という事を少しでも知った上で飲んでみても欲しいと思ったんです。
そういう歴史と思いを持った人々がいて
日々畑に赴き
ブドウを育て
ワインを醸造しているって。
ヨーロッパのワイン生産国としては、大国にまだまだ後塵を拝してはいますが、負けてないと思うんですよね、スロバキアワイン。
この前、とあるボルドー・メドック3級格付けシャトーのワインと弊社のスロバキアワイン飲み比べたみたんですが、まったく遜色ない、というかむしろ、弊社スロバキアワインの方が断然美味しくない?ねぇねぇ美味しくない?ねぇねぇねぇねぇ!って思いました。これほんとに。
だからね
スロバキアワイン、飲んで欲しいなぁ って、日々心から思ってます。
あと
スロバキアは
やたら美人が多いです まじで
スロバキアワイン、是非お試しあれ。
あと、スロバキアへご旅行の際は、ご相談ください。
本当に良い所がいっぱいいっぱい、あります。
▲夜のブラチスラヴァ城。やっぱり美人が多い
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株式会社シェルドレイク 代表村山
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