大富豪の養子になったら即永住する町ランキング第1位 ~断崖のテロワール~
〜 続き 〜
チンクエ・テッレのワインの歴史についてはコチラ
↓↓↓
〜前回あらすじ〜
チンクエ・テッレ視察の初日、絶景が広がるものと鷹をくくっていた脳内お花畑の私に待ち受けていたのは、荒れ狂う地中海の洗礼であった。
海から見た世界遺産チンクエ・テッレ
さて、せっかくの地中海ということで、船でチンクエ・テッレに潜入してみようじゃないかと。別に船乗る必要ないけども。それが人の性ではないかと。やっぱり男は黙って船だろと。
宿泊している港町ラ・スペツィアから、船にて、間の町を一気にすっ飛ばし、ジェノヴァに最も近いモンテロッソへ向かいます。
大荒れの初日と打って変わって、快晴ですね。「洗礼は済んだ」と言わんばかりに。
いつかチンクエ・テッレに行こうと画策する方、当然電車よりもお金は掛かりますが、船での移動もしてみるべきですよ。また違った見方ができます。その理由は色々あります。ちなみに、船は結構揺れますので、船酔いする方にはお勧めできません。
出航してしばらく、これまた世界遺産・ポルトヴェーネレが見えてきます。
▲ポルトヴェーネレの旧市街と城跡。やっぱりカラフルな家屋群が可愛いですね。
▲ポルトヴェーネレ岬の突端には、サンピエトロ協会。こんな断崖に建てなくてもって思いますが、これにも理由が。
天然要塞チンクエ・テッレ
で、海側から見たことによって、よくよく実感するのですが
チンクエ・テッレって、このような断崖絶壁がひたすら、ひたすら、ひたすら続いてるんです。
これじゃ「一昔前までお互いの村同士さえ船でしか入れなかった」ってのも頷けますね。
“太陽燦々☆ 美しい地中海☆”なんて平和な写真に見えますが、実際、海側から見ると「入る者を拒む」ってフレーズが頭に浮かぶ程の、切り立った断崖です。
しかし、その昔、この集落に住む人々にとっては、これが好都合でした。
そう、天然の要塞として。
時は11世紀。イタリア半島がまだ小国家の集合体だった時代。チンクエ・テッレは、このような地の利を生かした要塞都市として拓かれたといいます。 当時、横行していたに海賊から集落を守るために。また、目と鼻の先にあるトスカーナ大公国への牽制としても機能してました。
そのため、この地の岬や崖には、当時の面影を残す城跡や見張り台が今もなお各所に見られます。
先程のサンピエトロ教会も、そのような上記のような機能を有していたと思われます。ほら、見るからにそんな空気感抜群ですね↓。
▲断崖マニアの私は執拗にサンピエトロ協会を観察します。凝視します。
そんなこんなの当時に思いを馳せつつ、モンテロッソに到着です。
『ONE PIECE』を熟読して、普段から海賊にも思いを馳せていた私には、船酔いなど無縁です。
山に登る、海だけど
文句無しの、夏・海・太陽ですね。もうこの頃には、仕事とか税金とか年金とか社会的責任とか面倒な人間関係とかそういったもの根こそぎ全て、頭から消し飛んでました。おでこに「Freedom」って文字が浮かび上がってたかもしれません。
ここから少しの間時間があったので、私は単独行動に走ります。
▲雑貨屋、服屋、お土産屋、ピザ屋、ジェラート屋などなど、ひしめき合って溶け込んでます。
▲「なんちゃらは高い所が好き」と言いますが、本当かもしれません。いそいそと高台に移動します。
▲頂上に鎮座ましますは、教会とお墓
▲こんなところにも見張り台の名残らしき石塔が。監視なんて忘れるでしょ、この景色。
▲私はここに葬られたい
ワイナリー巡業
と、散歩ばかりしている訳にもいきません。ワイナリーをしっかり回ります。
夫婦でワインを造っているワイナリー、兄妹で造っているワイナリー……チンクエ・テッレは、そんな小さなワイナリーがほとんどを占めます。そりゃ生産本数少なくもなります。
そして、生産本数が少ない理由は、もっと根本的な部分にもあります。
▲樹を見ます
▲畑を見ます
▲現実を忘れます
▲そして飲みます。
ワイナリーのオーナーって言うと、ジャケットだったりスーツだったりと、紳士なイメージですが、この地域では、写真のように農夫って感じの、素朴な雰囲気の方ばかり。ワインっていっても、結局は農作物ですからね。小規模経営ならば尚更です。
限られた土地で生きていくために
先程の、海側からの写真でも分かる通り、チンクエ・テッレに平地はほぼありません。こんな地形ですもん、栽培をする場所なんて限られてますよね? そこで昔の人々は知恵を絞ります。その結果が、石垣と段々畑。
上述の、今も生産本数が少ない理由の一つはこれです。根本的に、栽培する場所に限りがあります。
むか〜しむかし、人々は海岸沿いの岩山の岩壁を砕き、出た石で石垣を築きました。そこに畑を拓いていきます。
でも、岩山ですよね?様々な農作物が元気に育つ肥沃な土地、なわけないですよね? 元来、痩せた土地なんです、ここは。
そんな地に、ようやく実ってくれた作物、それがワイン用のブドウでした。
その限られた資源の一つを使い、人々はワインを造り始めます。生きる糧として。
これが、チンクエ・テッレのワイン造りの始まりです。
めでたし めでたし
いや終わらない終わらない。
石垣を築いて、畑を拓いて、栽培して、ワインを造って。
でも、その石垣。築いても築いても、雨や風で崩れる箇所が当然出てきますよね? 専門的なお話で恐縮なんですが、ここチンクエ・テッレの土壌、砂質というもの。触ってみると、結構脆いんです。石垣造ってこの土壌を定着させても、崩れた綻びから土が流れ出てしまいます。
だから、「石垣を築く」と同時に「石垣を修復する」、そして「ブドウを栽培する」。これを延々と繰り返して、人々は営みを続けました。
途方もない時間が経った時、断崖に延々と築かれた石垣の総延長は、日本列島を往復できる程の距離にまでなっていました。
そして、いつしかチンクエ・テッレのワインの素晴らしい味わいは各地に知れ渡り、当時の王侯貴族の耳にも聞こえる程の名産品となりました。
というのがチンクエ・テッレの概略。
しかし名声は去り
でもですね
時は現代に戻りますが、世界遺産とはいえ、ここチンクエ・テッレにも過疎化の波はとっくに来ているわけですよ。
ここでワインを造るって、過酷な作業の連続です。こんな急斜面で作業するわけですし、加えて石垣の補修だってあります。多くの若者は、都市部により割の良い職を求めて去っていくのも必然かもしれませんね。
視察中、放棄されたブドウ畑をいくつも見かけました。現地の方に話を聞いているのもあり、その光景はなんとも寂しいものです。
そんな文化の寂れ行く中、放棄された畑を再び耕し、ワイン造りを再興した家族ワイナリーの一つに出会いました。
次回はそんなお話。
〜 続く 〜
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株式会社シェルドレイク 代表 ムラヤマ
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